神武東征と自分で作る色別標高図
神武東征とは?
高千穂を出立して、日向の美々津から船で宇佐、筑紫国、吉備などを経て近畿地方へ向かい、紆余曲折を経て奈良の樫原宮で即位した初代天皇の物語。神武天皇が大阪にやってきた時、難波碕に船で来たとされています。
難波碕ってどこ?
地理院地図で大阪平野を見てみよう。地理院地図のサイトから大阪周辺を表示します。次に左上の地図のアイコンをタップ(クリック)。するとサイドメニューが開きます。
メニューの標高・土地の凸凹、自分で作る色別標高図を選択する。
すると色を自分で標高別に設定できるので、ちょっといじると上のような地図を作ることができます。この地図、標高3m以下を青、3−5mを薄い青と設定しているんです。
この地図の南から北に向かって延びている緑色の台地が上町台地で、この先端付近に大阪城があります。実は大阪城あたりが、神武天皇が訪れた難波碕と言われています。
浪速の地名の起源
大阪城のある上町台地の左側が大阪湾、右側は河内湾と呼ばれています。縄文海進によって、海水面が上昇していた時代にはこんな地形になっていたんですね。この時代に神武天皇はやってきた。細い海路を通って、河内湾の内側にある難波碕(大阪城あたり)にやって来た。
細い海路を通るときに早い潮の流れがあったと古事記に書いてあるようです。だからこのあたりを浪速と書いてなにわと読むようになったと言うわけです。
この地図見ると、この時代、生駒山の麓まで船で行けたんですね。
神武東征の時期はほぼ確定
縄文海進で海水面が上昇した後、河内湾が出来、湾が河川堆積で埋まってしまうまでの間に神武東征が行われたと言うことになります。
この時代、邪馬台国も並行して存在していました。だから神武天皇が作った国と邪馬台国は全くの別な国ってことですね。
実はこの話、長浜浩明氏の日本誕生って本から引用したものなんだけど、話の内容を地理院地図で確認できるところが面白いって思ったんです。
興味を持たれたら、地理院地図色々いじって見て下さい。特に自分で作る色別標高図は、色んなことに使えるので試して見て。浸水マップや津波到達箇所なんかも想定するのに使えますよ〜